「地域に根差す歯科医として」
- 1952年11月6日群馬県太田市に生まれる。
- 敬愛幼稚園(由良町)、宝泉小学校、宝泉中学校、太田高校。地元で生まれ育った。
- 当時不足していた歯科医を志し、日本歯科大学新潟歯学部へ。
- 大学卒業後、国立国際医療センター、医科歯科大学にて、麻酔治療について学ぶ。
- 障碍者等に必要な麻酔治療。弱者からの視点でサービスを提供したい。開業へ。
「見えてきた課題、立ち向かう決意」
- 当時、訪問診療は一般的ではなかった。
- 身体的、精神的な多種多様な事情。歯医者に来られない人々の窮状を知る。
- 社会的弱者への行政的サポートがほとんどいき渡っていなかった。
- 政治の力で、全ての人々の「いのち」と「暮らし」を守り、「未来」を作りたい。
「市議として闘い続けた4年間」
- 市議選出馬を決意。両親も、地元有力者も反対。この時が、人生で一番辛かった。
- それでもなお、揺るがなかった決意。当選を勝ちとり、太田市議に。
- 環境問題、金山の史跡整備、市内巡回バスの実現。弱者の視点からの太田らしい発展を目指した。
- 特に、予防医療の観点から、市における歯科衛生士の常勤雇用を果たし、公衆衛生に貢献。
- 地域に根差し、弱者の視点を持つ歯科医師としての経験を生かし、走りきった四年間。
「県議会3期、地方主権の確立を目指して」
- 市だけではできないことがある。県議会へ。
- 地方分権一括法が盛り上がっていた時代。地方主権を訴えて議会改革。
- 議員主導で勉強会を立ち上げ、議会改革を行いながらの政策作り。
- がん基本条例の推進、重粒子センターの誘致、県立病院改革、予防歯科の発展と定着。次々と実現する政策。
- しかし、気付かされた「地方分権」の正体。地方への責任の押し付け、不十分な権限、財源の移譲。
「改革の本丸は国政にあり。」
- 国政を正さなければ、本当に地方が必要とする政策実現は難しい。国政への挑戦を決意。
- 選挙区内を辻々にいたるまで歩いた。毎朝の辻立ちも欠かさなかった。いつしか、見知らぬ土地に多くの仲間が生まれた。
- 二度の落選を経験しながらも、三度目の挑戦で、当選。
- 町の歯医者、市議、県議、正しさを求め、歩み続けて辿り着いた国政。
- 「いのち」「暮らし」そして「未来」、必ず、私たちの元へ、取り戻します。